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日本の女子レスリングが最強と呼ばれるまでの歴史を解説します

初めての方へ

レスリング初心者の方のために、日本の女子レスリングが最強と呼ばれるまでの歴史を、わかりやすく解説します。

日本の女子レスリング、世界的に強いです。
おそらく全ての女子オリンピック競技の中で、日本が一番強いのがレスリングかもしれません。
オリンピックシーズンになるといつも「レスリングは日本のお家芸」という報道がされます。

前回の2016年シドニーオリンピックでは6階級中4階級で金メダル(48㎏登坂絵莉、58㎏伊調馨、63㎏川井梨紗子、69㎏ 土性沙羅)そして吉田沙保里選手が銀でした。

ではなぜ、日本の女子レスリングは最強なのでしょうか。

理由はいくつかありますが、私は
福田 富昭(ふくだ とみあき)氏がいたから」説を
唱えたいです。

黎明期

レスリングは紀元前3,000年からの歴史があると言われています。
しかし女子レスリングの国際大会が開かれてからまだ40年も経っていません。

日本は1985年にフランスで開催された始めての女子国際大会に、選手を送り込んでいます。
この時、参加国はフランス・ベルギー・日本しかいませんでした。

つまり女子レスリングがほぼフランスでしか行われていなかったころから、参加していたのです。そこからの歴史の積み重ねが、現在の女子レスリングの興隆につながっています。

これは明らかに福田 富昭氏の功績だと思います。
福田氏はかつて1965年にマンチェスターで行われた世界選手権の57kg級で金メダルを獲った方。その後、日本レスリング協会会長を務めました。特筆すべきは自販機で有名なジャパンビバレッジの社長も務めたこと。発想や行動力や政治力が、優秀な経営者のそれなんですよね。彼がいなかったら、日本のレスリング界の風景は、きっと今と違っていたでしょう。

その福田氏は早くから、日本に女子レスリングを根付かせようと尽力してきたわけです。レスリングって世界基準のマーケティング戦略に長けていると思うのですが、それも福田氏の影響が大きいと思います。

福田氏が女子レスリングの創設を国内で訴えたときは、あんまり反応は良くなかったらしいです。当時福田氏はロサンゼルスオリンピックのレスリングの監督も務めて、それなりの発言力はあったはずなのに。男子レスリング界は戦前から続いており、保守的な人もたくさんいたことは想像に難くありません。

国内女子レスリング選手第一号 大島和子選手

そんな中、1985年に大島和子選手を「無理矢理」出場させます。
結果は、惨敗。というのも当然で、彼女元々は黒帯3段の柔道家なんですよね。
無理矢理と申し上げたのは、どうも半分大島さんをだまして、付け焼き刃で出場させたみたいなんですよね。

レスリング関係者に呼ばれて行ってみたらいきなり釣りパンを渡されて、次の日新聞で大々的にアピールされてしまったという・・・
そしてテレビ番組で特集が組まれることになって、そこから高校生のレスリングの合宿に参加させられたとのことです。当時大島さんは36歳。めちゃくちゃですね。

その後、福田氏は手記の中でやっぱり最初からレスリング選手を育てなきゃダメだと言ってるんですよね。そりゃそうだ。

退路を断たれた状態でレスリングをやらなければいけなかった、大島さんかわいそう・・・と私は憤慨していたのですが、インタビューなどを読むと、結構本人はサバサバしていらっしゃるみたいで、ちょっと安心しました。

大島さんのこの一歩から、現在の女子レスリングの歴史がスタートしたわけですから、彼女の功績はもっともっと評価されてもいいと思います。ちなみに柔道家時代にも、周りに柔道をやっている女性がほとんどいなかったらしいです。だから福田さんは彼女に白羽の矢を立てたようです。

つまり、大島さんは女子レスリングの、というより、女子の組技系格闘技の創世記を支えた人なんです。

ちなみに男子レスリングも元々は柔道家の活動の一環としてスタートしています。
なので男女とも同じ歴史を辿っているとも言えるんですよね。

日本人女子レスラー育成計画

ここから福田さんは女子レスラーの育成に、ゼロから取りかかります。
ここで取った奇策が、女子プロレスラーの採用審査に参加させてもらって、そこからアマチュアレスリングにスカウトするという方法です。

当時からプロレスは真剣勝負ではないと言われていたはずですし、アマチュアリズムからすると本来受け入れられなかったはずです。でも当時女子プロレスは大人気で、いい選手を取ろうと思えば当然層の厚いところに絡んでくのが、戦略としては正解です。恐るべし福田 富昭。

余談だが、吉田豪氏や柳澤健氏の本を読むと、当時の全日本女子プロレスって、真剣勝負だったらしい。なぜなら運営側がこっそり賭博の対象にしていたから。ひどい話だけど。



福田さんは、選手の生活基盤を持たせるため自分の会社で選手を雇うまでして、女子レスラーの育成に打ち込みます。

1987年、全日本女子選手権がスタートします。
ちなみにこの時は全日本女子プロレスの前座として開催されたそうです。今では考えられないですね。
特筆すべきは44キロ級で山本美優選手が13歳で優勝したこと。それからプロレスラーの豊田真奈美選手も出場して、あと1点でテクニカルフォール負けという時にピンフォールを奪って逆転勝ちという劇的な勝利を収めていることです。ちなみに当時は区分けが緩く、国内ではプロもアマレスの試合に出ることができたようです。

ちなみにこの時の優勝者が第1回女子世界選手権の出場権を得られたようなのですが、山本美憂選手は年齢制限で、豊田真奈美選手はプロということで出場できていません。

89年の第2回女子世界選手権では日本は団体優勝します。世界的に競技人口が少なかったとはいえスタートしてから5年で世界最強になったことになります。

この後くらいからもともと男子のレスリングが強かった国、例えば中国・ロシア・アメリカ・カナダなどが女子レスリングに参入し始めます。

この後、2004年にオリンピックの公式種目にエントリーされる頃まで、
山本美憂→山本聖子浜口京子など次々にスター選手を輩出し、メディアに多く取り上げられるようになります。

念願のオリンピック公式種目に

女子レスリングがオリンピックの公式種目になることが、福田さんの悲願だったわけですが、2000年のシドニーオリンピックでは採用されることは叶いませんでした。

FILA内部でも反対があったからです。当時の会長も女子レスリング否定派でした。

放映されることを考えると参加人数枠には上限があります。女子レスリングを採用するということは、男子のフリーとグレコの枠が狭くなることを意味します。当然出られるはずだったのに出られなくなってしまう選手も出てくるでしょう。

ここで福田さんが抜群の政治力を発揮します。
FILAの理事に立候補すると、会長選挙で女子レスリング推進派の会長を擁立するのです。この試みは成功します。福田さんもFILA副会長に就任します。

そうして2004年のアテネで念願のオリンピック種目としてのエントリーに成功。
IOC が男女平等を打ち出したことも追い風になりました。

日本フェンシング協会が「選手は英語が喋れないといけない」という決まりを打ち出したように、ヨーロッパのスポーツで日本人が戦っていくには、確かに政治力(言語などのプレゼンテーション能力を含む)が必要なんだなと思います。

アテネからオリンピックに出場している吉田沙保里選手と伊調馨選手が、オリンピックで金メダルを獲得していくたびに、どんどん世間にも女子レスリングが認知されるようになりました。

そして4階級から6階級へ、階級枠が増やされたリオデジャネイロオリンピックでは、4つの金メダルと1つの銀メダルを獲得することになったのです。

2021年東京オリンピック

コロナウイルスの影響で延期になってしまいましたが2021年東京でオリンピックが開催されました。

結果は4階級で金メダル!

48kg 須﨑優衣

53kg 向田真優

62kg 川井友香子

57kg 川井梨沙子

日本最強時代はまだ続きます。

日本女子レスリングの歴史

複数の書籍(巻末参照)を参考に、女子レスリングの歴史を年表にしてみました。

イベント選手名と戦績 全日・・全日本選手権 世界・・世界選手権
記載が無い場合は金メダルもしくは優勝
1974国内初の女子公式試合
1982FILAに女子レスリング
部門発足
1983
1984
1985女子国際大会が
フランスで開催
日本人初参加 大島和子
1986
1987全日本女子レスリング
連盟発足
全日本女子選手権
スタート
第一回世界選手権開催
全日44㎏ 山本美優全日65㎏ 豊田 真奈美
1988全日44㎏ 山本美優
1989中京女子大学(現:志學館大学)レスリング部創設全日44㎏ 山本美優世界75㎏
浦野弥生
1990全日47㎏ 山本美優世界75㎏
浦野弥生
1991世界47㎏
山本美憂
全日53kg級 川崎明美世界75㎏
浦野弥生
1992全日53kg級 川崎明美
1993全日53kg級 川崎明美世界65㎏
浦野弥生
1994世界50㎏
山本美憂
世界53㎏
川崎明美
世界65㎏
浦野弥生
1995世界47㎏
山本美憂
世界65㎏
浦野弥生
1996世界65㎏ 浦野弥生
1997世界75㎏
浜口京子
1998世界75㎏
浜口京子
1999世界51㎏
山本聖子
世界75㎏
浜口京子
2000世界51㎏
小原日登美
世界56㎏
山本聖子
2001世界51㎏
小原日登美
世界56㎏
山本聖子
2002世界59㎏
山本聖子
世界72㎏
浜口京子
2003世界72㎏
浜口京子
2004オリンピック(アテネ) 女子レスリング採用48㎏(銀) 伊調千春55㎏
吉田沙保里
63㎏
伊調馨
72㎏(銅)
浜口京子
2005世界51㎏
小原日登美
2006世界51㎏
小原日登美
2007世界51㎏
小原日登美
2008オリンピック (北京)48㎏(銀) 伊調千春55㎏
吉田沙保里
63㎏
伊調馨
72㎏(銅)
浜口京子
2009
2010世界48㎏
小原日登美
2011世界48㎏
小原日登美
全日72㎏(銅) 浜口京子
2012オリンピック (ロンドン)48㎏
小原日登美
55㎏
吉田沙保里
63㎏
伊調馨
2013
2014
2015
2016オリンピック (リオデジャネイロ)4→6階級へ48㎏
登坂絵莉
53㎏(銀) 吉田沙保里58㎏
伊調馨
63㎏
川井梨紗子
69㎏ 土性沙羅
2017
2018
2019
2020オリンピック延期
2021オリンピック(東京)48kg
須﨑優衣
53kg
向田真優
62kg
川井友香子
57kg
川井梨沙子

レスリング女子 歴代最強は誰か

さて最後に、レスリング女子歴代最強は誰かを考えてみました。

そんなの分からない、が正解だと思うのですが、けっこうみなさん「レスリング女子 歴代最強」というワードで検索していらっしゃるんですよね。

そもそも階級別格闘技の場合は「最強」の定義がむずかしいですよね。

極端な例を挙げると、ボクシングの最軽量級で10回連続防衛を果たしたチャンピオンがいたとしても、おそらくヘビー級ランカーには勝てないじゃないですか・・・とここまで書いたところで、75㎏でありながら柔道全日本選手権無差別級で準優勝した古賀稔彦さんみたいな人もいるしなぁって思ったら訳がわからなくなってきました。

それでも世間へのアピールも併せて考えると、伊調馨選手かなぁ。

連勝記録の絶対王者感で吉田沙保里選手を挙げる人もいると思うし、それはもっともなんですが、伊調選手の方が階級2つ上なので、全盛期に戦ったら伊調選手の方が強いかなと。

いや、そのロジックでいうと浜口京子選手の方が上か・・・

やっぱり体が大きいというのも才能だと考えると、私は浜口京子選手最強説です。

以上、個人的な意見でした(笑)

参考書籍:





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